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補足
南房総では、リタイア後に移住してお店なり余生を楽しんだり
という方も増えてきているようです
私もそんな方たちや地元の人達と交流ができるのは
父のおかげ
父がここで築いてきた縁やら信頼やらにあやかって
楽しむことができるということ。
そして、そんなことが素敵に聞こえるかもしれないけれど
60歳まで会社員として働き、家族を支えながら
地道に生きてきたからこそだということ。
・
なにが素敵か、いいか、なんてことは人それぞれ。
なにか目立ったことをしているほうが
学歴や職業がなんとなくイメージがいいほうが・・
そんな世の中で、
そんなことで人を判断されやすくもあるけれど
もちろん、人間の価値はそこではない。
私も、題材として書き易いから
父を書いてしまうけど
そういうことではないということ。
でも、そんな感じがいわゆる8割
だけど、2割は「自分」の「信じるもの」として、大事なものとして存在しているはず。
それは決して、たやすく公表できるものではないかもしれない
から、自分の中で、静かに、だけど確実に
育てていけばいいと思う。
・
人と違うから
人と比べて劣っているようだから・・
というのは、立派な個性。
それは立派なエネルギー
主観だけれども
子供のうちは顕著で、ちょっと目立つところがあれば
すぐけなされたりもするような世界
その時のあれ
を引きずっている人も多いかもしれない
けど、どうかくじけず前を向いて進むことを試してほしい
人と違うことは
大人になって個性として発揮され、評価されもすることもある
人と同じことをしていれば
同じになる
それを心地いいと思うか
居心地が悪いと思うかは
人それぞれ
違うことでも行動し、考え、悩み、
それを信じて続けていけば
きっと自分の道は開ける
自分の生きる楽しみとなり、自信となります
・
そんなことを、
私は絵の学校で感じました
私はいじめとかもなく、普通に大学を出て就職をし
恵まれていた方かもしれませんが
その学校では
そのままでは出会うことのできなかったであろう人達と出会えました
色々な人、生き方があることを知り
きっと、いわゆる「社会」では住みづらい人たちもいるけれど
夢、希望を持っている
自分の力で、一生懸命に生きようとしている
とびっきり不器用だけれども
とびっきり心がきれいで
自分自身と向き合っている
そんな姿がキラキラして見えました
・
若いうちから注目されるような人生もあれば
自分の中だけで幕を下りる人生もあり
そんなのは比べる由もない。
自分の中だけでいい、大切に大切に、その何かを育み、気づく人生でありたいなと思う
神様に与えられた試練に
自分でしか気づくことのできないその試練を乗り越えられた時に
見ることのできる世界がある
それを見たい。